痛みは、体の壊れ具合を測っていない
「こんなに痛いのだから、きっと体のどこかが壊れている」
そう思うのは、とても自然なことです。
でも、慢性的な痛みについて考えるとき、このイメージはいったん手放したほうがいいかもしれません。
なぜなら、痛みの強さと、体の損傷の大きさは、必ずしも一致しないからです。
「画像の所見と痛みは一致しない」
「組織の傷だけでは、痛みを説明できない」
では、私たちが感じている「痛み」とは、いったい何なのでしょうか。
今日は、この連載の土台にある考え方をお話しします。
痛みは「故障メーター」ではありません
多くの人は、痛みをこんな仕組みだと考えています。
体が傷つく。
その信号が脳に届く。
傷が大きければ大きいほど、強く痛む。
とても分かりやすいですよね。
ただ、実際の痛みは、そこまで単純ではありません。
有名な症例があります。
工事現場で作業員が高所から落ち、太い釘が靴を貫通しました。
本人は激痛で動けず、鎮痛処置を受けて病院へ運ばれます。
ところが、靴を脱がせてみると、釘は足の指と指のあいだを通り抜けていました。
足には大きな損傷がありませんでした。
それでも、本人が感じていた激痛は本物です。
逆のことも起こります。
戦場で大けがをした兵士が、その場ではあまり痛みを訴えない。
スポーツ選手が骨折したまま競技を続け、あとから気づく。
こうしたことがあります。
つまり、
「どれだけ壊れているか」
と、
「どれだけ痛いか」
は、同じものではありません。
ここを理解すると、慢性的な痛みの見え方が大きく変わります。
慢性的な痛みでは「痛みの体験」そのものが変わります
痛みの情報を処理しているのは、単純な一本の神経回路ではありません。
脳のさまざまな領域が関わっています。
痛む場所や強さに関係する領域だけではありません。
不安や恐怖に関係する扁桃体。
不快感に関係する島皮質。
注意に関係する前頭前野。
記憶に関係する海馬。
長く続く痛みでは、こうした感情、記憶、注意に関わる仕組みも強く影響します。
だから慢性痛は、単なる「右腰が痛い」「左膝が痛い」という感覚では終わりません。
「また痛くなるかもしれない」
「動くのが怖い」
「このまま治らないのではないか」
そんな体験と結びついていきます。
これは大げさに反応しているわけではありません。
痛みという体験そのものに、感情や記憶、注意が組み込まれているからです。
神経の「感度」が上がることもあります
長く痛みが続くと、痛みを処理する神経系そのものが過敏になることがあります。
これを「中枢性感作」と呼びます。
難しい言葉ですが、イメージはシンプルです。
火災報知器の感度が上がりすぎている状態です。
本来なら反応しなくていい程度の刺激でも、警報が鳴ってしまう。
その結果、
軽い刺激でも強く痛む。
触れただけで痛い。
痛む範囲が広がる。
刺激がなくても痛みを感じる。
そんなことが起こる場合があります。
さらに、人間の脳には本来、痛みを抑える仕組みもあります。
慢性的な痛みでは、この「痛みを抑える側」の働きが十分に機能しにくくなることもあります。
車にたとえるなら、
アクセルが敏感になっている。
そのうえ、ブレーキも効きにくい。
そんな状態です。
だから、「大した傷ではないのに、なぜこんなに痛いのか」ということが起こります。
気のせいではありません。
本人が感じている痛みは本物です。
「痛いから動かない」が、さらに痛みを強くすることがあります
ここからが、慢性痛を考えるうえで重要な部分です。
痛みが続くと、人は当然、不安になります。
「この痛みは一生続くのではないか」
「動いたら、もっと壊れるのではないか」
「もう何をしても無理なのではないか」
こうした考え方が強くなることを、破局的思考と呼びます。
怖くなれば、動かなくなる。
動かなくなれば、できることが減る。
できることが減れば、「やはり自分の体は壊れている」という感覚が強くなる。
そして、さらに体を動かすのが怖くなる。
悪循環です。
もう一つ知ってほしいことがあります。
人間は、注意を向けたものを強く感じやすくなります。
朝から晩まで「今日は痛いか」「昨日より痛いか」と確認し続ければ、頭の中で痛みの存在感はどんどん大きくなります。
だから慢性痛のリハビリでは、痛みの点数だけを追い続けない考え方があります。
「今日は何点痛いですか」
だけではなく、
「先週より何ができるようになりましたか」
を見る。
これは、とても重要です。
自分自身に対しても使えます。
「今日は痛いか」
ではなく、
「今日は何ができたか」
を見てみてください。
痛みを「理解すること」も治療の一部です
私は、患者さんへの説明に時間を使います。
なぜなら、痛みの仕組みを理解すること自体が、慢性的な痛みへのアプローチの一部だからです。
原因が分からない痛みは怖いです。
人間の脳からすれば、正体不明の警報ほど怖いものはありません。
「なぜ鳴っているのか分からない」
「止めていいのかも分からない」
そうなると、安全のために警報を強くしておこうと考えるのは、自然です。
逆に、
「検査では重大な問題は見つかっていない」
「この痛みは、体が壊れ続けている証拠とは限らない」
「少しずつ動いても大丈夫だ」
そう理解できると、痛みに対する恐怖が変わります。
だから説明は、治療に入る前の雑談ではありません。
説明そのものが、治療の一部です。
では、慢性的な痛みとどう付き合うのか
ポイントは、「痛みをゼロにしてから生活を戻す」という発想から離れることです。
まず、痛みについて正しく知る。
「痛い=壊れている」とは限りません。
次に、少しずつ動きを取り戻す。
完全に痛みがなくなるまで待つのではなく、無理のない範囲で活動量を戻していきます。
動けた経験が増えるほど、
「この動きは危険ではない」
と体と脳が学習していきます。
睡眠も重要です。
睡眠不足が続けば、痛みに敏感になりやすくなります。
慢性的な痛みを診るとき、私は痛む場所だけではなく、生活全体を見る必要があると考えています。
そして、もう一つ。
痛み以外の生活を取り戻してください。
人と会う。
散歩する。
趣味を楽しむ。
仕事をする。
家族と出かける。
痛みがあるから、人生をすべて止めるのではありません。
できる範囲で人生を動かしながら、痛みとの距離を少しずつ変えていく。
「痛みが消えたら生活を再開する」
ではなく、
「生活を再開しながら、痛みに支配される時間を減らしていく」
という考え方です。
ここだけは、誤解しないでください
「痛みには脳が関係している」という話をすると、
「つまり気のせいですか」
と受け取られることがあります。
違います。
痛みは本物です。
本人が痛いと感じている以上、その痛みを他人が否定することはできません。
そして、すべての痛みを慢性痛の仕組みだけで説明できるわけでもありません。
骨折、感染症、腫瘍など、医学的な評価が必要な病気もあります。
新しく出た痛み。
これまでと明らかに違う痛み。
急速に悪化している痛み。
こうした場合は、まず医療機関で評価を受けてください。
痛みの科学は、
「検査をしなくていい」
という話ではありません。
「必要な評価を受け、重大な問題がないと確認したあと、その痛みとどう向き合うか」
という話です。
あなたの体は、画像よりもずっと複雑です
レントゲンやMRIに変化が写っている。
年齢を重ねている。
何年も痛みが続いている。
だから、もう治らない。
そう決まったわけではありません。
人間の体も、脳も、神経も変化します。
動き方を変える。
休み方を変える。
睡眠を変える。
痛みへの理解を変える。
生活を少しずつ取り戻す。
変えられることは、思っているよりたくさんあります。
痛みは、体の壊れ具合を表示するメーターではありません。
このことを知っているだけでも、痛みとの付き合い方は変わります。
次に痛みを感じたとき、
「どこが壊れたのだろう」
だけではなく、
「いま私の体は、何を危険だと判断しているのだろう」
という視点も持ってみてください。
このニュースレターでは、腰痛や膝痛を中心に、
「検査では大きな問題がないのに、なぜ痛むのか」
「どこまで動いていいのか」
「病院に行くべき痛みと、過度に怖がらなくていい痛みをどう考えるか」
といった話を、できるだけ分かりやすく解説していきます。
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この記事が、長く痛みに悩んでいる方の不安を少し減らすきっかけになればうれしいです。
※この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断や治療に代わるものではありません。
症状が続く場合、新しい症状が出た場合、症状が悪化している場合は、医療機関にご相談ください。


痛みの強さと骨や組織の損傷が必ずしも一致しないことや、神経が過敏になる「感度が上がった火災報知器」の例えにすごく納得しました。「痛い=体が壊れている」という思い込みを手放すだけで、恐怖感や不安が和らぐのを感じます。